帰りにセブンに寄るぐらいしかないんだけど
寿ハチミツ
第29話
ポカポカの日々
 股が痒い。
 そう言うと症状の深刻さに反してマヌケに聞こえてしまうのが悔しい。
 
 昨年12月、突如わたしの股を猛烈な痒みが襲った。どれくらいの痒みかというと、蚊に刺された痒みの10倍のパワーが女性器(内部)に集結したと思って欲しい。男性はイマジネーションを働かせて肛門(内部)に集結させてみて欲しい。

 わたしの仕事はデスクワークで日中は会社に出勤している。表向きには平静を装いつつ、実際は股間を平手打ちしながらオフィス内を飛び回りたい衝動と必死に戦っていた。自らの尊厳を守るために人前で股間を掻きむしる訳にもいかず、トイレでウォシュレットの“強”を当てまくるぐらいしか抗う術もない。わたしは約10時間、ろくに仕事もせずモジモジ過ごしていた。
 帰宅するとお風呂に直行し、お湯で洗い流した後はサッパリして幾分かマシになった。しかし本当の地獄は布団に入った後、睡魔が訪れる頃に始まり、最大級の痒みがわたしに止めを刺しにやってくる。「なんで、こんな目に」わたしは泣きながら股間を殴りつけ、叫び疲れて眠った。

 そんなこんなで股のことだけを考えて数日過ごし、ようやく休みの日に病院に行った。わたしは診察する前から、こんなに痒いのは絶対『カンジダ症』だと確信していた。わたしとカンジダ症の付き合いは18歳のときからなので、奴のことはよく理解している。人の皮膚や粘膜に存在する常在菌が、睡眠不足・免疫力の低下などにより増殖して悪さを起こすらしい。
 『東京リベンジャーズ』を読んでマイキー君のイラストを夢中で描き、連日寝不足だったことが災いしてしまった。もし、わたしが過去をやり直せるならマイキー君との出会いを正月休みに持ち越したのだけど、現実はつらく厳しい。わたしは誰にも言えない悩みを抱える孤独な股痒女(またかゆおんな)になっていた。

 初めて行った産婦人科だったのだけど、診察台が古い型なのか、初めて見るものだった。
 これまで通っていた病院は、下着を脱いでリクライニングチェアのような診察台に座ると、自動で医師の目線まで股が上昇し、自動で座面が割れて股が開かれる仕組みだった。一方、初対面の診察台は、自ら股を開いて座り左右に足を固定する、拷問器具のようなものだった。
 自分がケツ丸出しで淡々と股を開いている事実を受け入れがたく、思わず看護師さんに「皆さんココに足を乗せていらっしゃる?」とトンチンカンなことを聞いてしまった。

 診察は通常、患者の腰辺りからカーテンで仕切られ、医師からわたしの顔は見えないようになっている。ところが、これも初めて見たけども、カーテンが短くてわたしの顔を隠すには50cmぐらい足らず、普通に医師と目を合わせたまま股を診て頂くことになった。医師は真っ直ぐにわたしの瞳を見ながら
 「あらっ、アナタこんなところにホクロがあるのね。邪魔じゃない? 取ろうか? 無理にとは言わないけど、入れるとき邪魔でしょ?」
 と言った。わたしは一瞬にして幽体離脱し、情けないポーズで情けない質問をされる自分の身体を天井から眺めて他人事として大いに笑い、心身のバランスを保った。

 医師の見立てでもやはり『カンジダ症』ではないかとのことで、自分で膣内に挿入する錠剤を5日分処方された。
 これまでカンジダに罹ったときは病院で錠剤を挿入して貰い、塗り薬だけ処方されていたため、薬剤師さんに「初めて使う薬なんですが、奥まで指入れるんですか?」と確認すると、清楚で可愛らしい女性が「そうですね、奥まで」と、中指を立てて勢いよく天に突き上げるジェスチャーを見せてくれた。
 何はともあれ、これで地獄から解放される。足取り軽く帰宅したわたしは、薬剤師さんのお手本通り錠剤を中指で奥まで押し込んだ。

 すると、とんでもなく恐ろしいことが起きた。

 ―――痒い。

 瞬く間に燃えるような痒みが体内を駆け巡った。あまりの痒みに、熱いのか痛いのか分からないほどだった。慌てて錠剤を掻きだそうとするも、溶けやすい性質の薬であることと、深く突っ込んだせいで全く歯が立たない。
 「なんで、こんな目に」言われた通り薬を使用したことに違いはないのだけど、自分でぶち込んで悪化してどうするんだ。わたしは終わらぬ地獄に絶望した。

 今回のカンジダは始まったときから、どうにも症状がひどい気がする。そういえば、最後に罹ったのは20代のときだっけ。30代からのカンジダはこんな感じなんだろうか? どっちにしろ、あの錠剤はもう使えないので再び病院へ行くことにした。

 「あのね、前回検査した結果だけどね、カンジダじゃなかったみたい」
 「………え?」
 医師はハッキリとカンジダを否定した。
 「えっ、じゃあ別の病気ですか!?」
 経験したことのない、あの痒み…。やはり、カンジダ以上の大物だったのか!

 「ううん、変な菌とかウイルスとか、何にも見つからなかったよ」
 「………えっ?」
 「ただ痒くなっただけだね」
 「………えっ!?」
 「この軟膏塗って様子見てね。塗ると温かくなるよ」 
 
 わたしは激闘の日々を思い出していた。あんなにも苦しんだ日々が、特に原因ナシの突発的な股の痒みだったというのか。何もないのに股を掻きむしっていたことになる。確かにつらかったのに、このマヌケさは一体なんなんだろう…。

 処方された軟膏を塗ると、確かにじんわり温かくなった。塗り始めてから1週間。もう、あの地獄の痒みに悩まされることもない。何よりこの薬、寒い日に塗るとポカポカして幸せだったりする。
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