帰りにセブンに寄るぐらいしかないんだけど
寿ハチミツ
第23話
わんこ除霊師
 わたしが子供時代を過ごした家はボロボロの借家だった。
 陽当たりの悪い木造の家で、特に北側に位置する6畳の部屋は昼でも真っ暗だった。その部屋は兄が使っていたのだけど、頻繁に金縛りにあうらしく、ある日「夜中に金縛りにあい、ドアが開いて錫杖(しゃくじょう)を持った修行僧が何人も部屋の中に入ってきて、自分の布団の周りをグルグル歩いた」と言うのだ。

 そんなもん、奇跡体験アンビリーバボーではないか。オカルト大好き小学生のわたしは目を輝かせた。すぐさま部屋を譲ってほしかったけど、兄が家を出たあと部屋を引き継いだのは姉だった。部屋の使用感をしつこく聞いたものの、特に心霊現象は起こらないという。わたしは心底がっかりした。それから姉が家を出るのを待って、部屋を貰えたのは14歳のときだった。

 部屋を使い始めてすぐ、異変は起きた。深夜になると、いつもテレビの電源が勝手に入り、放送終了後の砂嵐の画面が映るのだ。また、徹夜でテスト勉強をしているときには、一晩中『パキッ』『ピシッ』という大きな音もする。
 やっぱり、姉が気付かなかっただけで、この部屋には霊が住んでいるのかもしれない。あんなに楽しみにしていた心霊現象なのに、いざ遭遇した途端にビビりまくったわたしは、部屋にいる間はヘッドフォンをして過ごし、寝る前にテレビのコンセントを引き抜いた。結局それ以降、謎の現象はピタリと止み、わたしは高校生になった。

 入学してすぐ、ちーちゃんという友達ができた。ちーちゃんは長い黒髪をイカツいコーンロウにしたB-Girlで、露出魔と幽霊をいち早く発見する天才だった。下校中、「ねぇ、あの人チン●ンが出てるよ」と言ったり、「駐輪場に半透明のおばあちゃんがいるんだけど、ハチミツも見えてる?」と言ったりする。どっちにしろ見たくないので、ちーちゃんが指差す方向は見ないようにしていた。
 ある日、わたしの家にちーちゃんが泊まりに来ることになった。部屋に着いてすぐ、ちーちゃんは「うわっ」と言った。そして部屋をゆっくり見てまわると、押入れの前で立ち止まり、「すごいね。めちゃくちゃヤバい部屋に住んでる」と苦笑いした。わたしはゾッとした。子供の頃から何となくこの押入れが嫌で、見ないようにしていたからだ。

 押入れはほぼ使わない物置と化し、雛人形などが仕舞われていた。普段は開けることも無く、ハイベッドで半分ほど塞がった状態だった。「やっぱり幽霊いるかな? 嫌だなとは思ってたんだけど」わたしがそう聞くと、ちーちゃんは「今は見えないけど、絶対何かいるよ」と言った。気味が悪くなったわたしは、その日から押入れを意識するようになってしまった。

 間もなく、とうとう金縛りにあうようになった。金縛りになるときは決まって深夜、突然ぱちりと目が覚める。が、身体は指一本動かず、声も出せない。そのうち、耳鳴りがしてきて、大きな音でうるさくて堪らなくなる。怖くて泣きそうになりながら(終われ、終われ)と念じる。心臓がドキドキして息が上手くできなくなったところで、少しずつ身体が自由になっていく。
 ちーちゃんに相談してみたものの、金縛りも幽霊も慣れっこの彼女は「あるよね。あるある」といった感じの返答だし、母に話しても「あら、そう。お兄ちゃんも言ってたから本当にいるんでしょうね」ぐらいの反応だった。

 そうこうしている内に金縛りは2日にいっぺん来るようになり、向こうのやり口もエスカレートしていった。わたしの身体の上に乗るようになったのだ。 
 (いささ)か慣れた気でいたわたしも、確かな重みを感じて恐ろしさが倍になった。金縛りの間わたしの眼は開いたままだけど、真っ暗な天井が見えるだけだ。しかし、姿は見えないのに、幽霊は女性だという事が分かった。耳元に吐息がかかり、細くて小さい“彼女”の指が、確かめるようにわたしの胸や首に触れたからだ。

 そんなことが続いてノイローゼ気味のわたしに、思いがけず嬉しいことが起きた。柴犬パスが家族の一員になったのだ(12話にも登場)。子犬の愛くるしさにメロメロになったわたしは、家にいる間は(しつけ)のためにパスとベッタリ過ごした。トイレトレーニングに手こずりはしていたがパスはお利口さんで、やりがいを感じていた。これにより、金縛りのストレスが激減した。

 そして、2週間ほど経った深夜。
 (また、きたか…)金縛りのせいで寝不足が続いたわたしは、もはや、うんざりしていた。(さっさとしてくれ)投げやりにそう思った瞬間、わたしの身体をぺたぺた触っていた“彼女”が、不意に両手で首を絞めてきたのだ。

 その手の、『遊び』としか言いようのない動きに、(からかわれている)と察したわたしは、猛烈に腹が立った。動かない身体を必死に動かそうと暴れ、出ない声を絞り出して音のない息を吐いた。それを嘲笑うかのように“彼女”はわたしの首をなぞる。
 (バカにしやがって、いい加減にしろ! 何で自分の部屋にいて、姿も見えないお前に振り回されなくちゃならないんだ!)心の中で叫びながら、“彼女”を罵倒していると、耳鳴りの中に微かに『キィ…』とドアのきしむ音がした。

 瞬間、スッと身体が楽になった。確かにいなくなった、と分かった。
 けれど、なぜか部屋に異常を感じる。意識を集中してみると、微かに水音が聞こえた気がして、わたしは思い切って蛍光灯を点けた。そこには、押入れの前で勢いよく放尿しているパスの姿があった。

 それから一切、金縛りにあっていないのは、放尿で除霊してくれたパスのおかげ…かもしれない。
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