帰りにセブンに寄るぐらいしかないんだけど
寿ハチミツ
第21話
四国のFBI
 10年以上前、1年間だけ『マネキンさん』と呼ばれる販売スタッフをしていた。派遣会社から紹介された各地の大型商業施設内テナントに3日~1ヶ月程度通い、接客販売をする仕事だ。
 あるとき、高級食品店に1ヶ月間勤務することになった。半月ほど通うと、土日に必ず来店する常連客がいることに気付いた。TシャツGパンでやって来る50代くらいの男性で、女性店員と親しげに会話し、毎回3万円ほど爆買いしていく。しかも、女性店員だけに高級コスメ等のプレゼントもくれるのだ。
 社員に話を聞くと、男性は『カオルさん』といって、既婚者で娘さんがいるカメラマンだという。

 失礼ながら、ヨレヨレの服なのに気前よく買い物してくれるので、一体何の仕事をしているんだろうかと気になっていた。なるほど、きっと有名なカメラマンなんだろう。だからあの風貌で自由な感じのお金持ちなのか、と妙に納得した。

 その翌週、カオルさんはわたしの顔も覚えてくれたようで、初めて2人で会話をした。10歳の娘さんが天才肌で、一度聴いただけの古い歌謡曲をピアノで弾けてしまうそうだ。そして、何とその伴奏に合わせて、プライベートでカオルさん宅に遊びに来ていた倉木麻衣が歌ってくれたという。

 「倉木麻衣!?」わたしは大声をあげてしまった。なんとカオルさんは倉木麻衣と友達だという。有名カメラマンだし、ここは東京だし、真実であってもおかしくないのかもしれない…。いや、しかし…。
 戸惑っていると、「お前、大学どこ行ったの?」と聞かれたので、「高卒なんですよ。カオルさんはカメラの勉強できる大学に行かれたんですか?」と何となしに尋ねた。
 「一応、MIT出てるよ」
 「えっ!?」
 マサチューセッツ工科大学!? 再びわたしは大声をあげてしまった。倉木麻衣の話で終わっていればギリギリセーフだったかもしれないけど、マサチューセッツ工科大学はギリギリアウトだった。

 しかし、わたしはマサチューセッツ工科大学の知識が一切無いため、入るのがどれだけ難しいのか、全く見当もつかない。故に、「ウッソだ~!」とは言えない。倉木麻衣においても、やはり詳しくは無いので、決めつけることはできなかった。
 「お前さ~、今度飯奢るから連絡先教えろよ」
 デカいリアクションばかりとったせいか、カオルさんに謎に気に入られてしまった。当時、若かったわたしは穏便な断り方が身についておらず、面倒なことになったと思いつつも、しぶしぶ連絡先を教えた。

 すると、その日の夜にすぐカオルさんからメールが来た。
『今日は楽しくお話させていただき、ありがとうございます。寿さんのことは、何とお呼びしたら良いでしょうか? また、食事の件ですが、横浜の中華街なんかどうですか? 昼食を食べたあとはショッピングでもしましょう。車を出しますので、都心で待ち合わせして、帰りもご希望の地域までお送りいたします』
 店での横柄な口調とは裏腹に丁寧過ぎるぐらい紳士的な文章で、謎が深まった。返信に困って彼氏にカオルさんの説明をしたところ、「そんな変なオッサンについて行く奴があるか。俺が嫌がってるとでも言って断れ」と真っ当なご意見をいただいた。
 カオルさんからは『分かりました。私からはもう連絡しませんので、もし食事に行きたくなったら寿さんからご連絡ください』と、これまたスムーズな返信があり、結局カオルさんとは会わないまま、わたしはその店を後にした。

 それから数年後、わたしは池袋駅で偶然カオルさんの姿を見つけた。その瞬間までカオルさんのことはすっかり忘れていたけど、もう一度会えるとは思わず、思い切って声を掛けた。すると、意外にもカオルさんはわたしのことを覚えていてくれた。
 「俺もあれから色々あってさ。2年前、奥さんが病気で死んじゃったんだよね」
 カオルさんは笑いながらとんでもなく重い話を始めた。 
 「え!? そんな…本当ですか!?」
 カオルさんの奥さんは20歳下と聞いていた。まだ若いだろうに、わたしもすぐ「そうですか」とは言えず、聞き返してしまった。
 「冗談で言わないよ。それで、家族葬にしたんだけど、どこから聞きつけたんだか葬式に倉木麻衣が来ちゃって(笑)。アカペラで歌いだすし、やめてくれって感じだよ」

 「ア…そう…だったんですか…」
 倉木麻衣の登場によって奥さんの死が疑わしくなってしまった瞬間、カオルさんがスマホで美人の写真をわたしに見せながらこう言った。
 「で、迷ったんだけど、どうしてもって言われたから奥さんの妹と再婚したんだよね。まだ21歳でさ、今年の春に娘も生まれたんだ。いや~、お前、今年いくつだっけ? お前の方がババアだな(笑)」
 豪快に笑いながら話していたけど、とても現代の話とは思えなかったので、真面目に聞くのが難しかった。
 「ちょっとカオルさんが破天荒過ぎて、わたしには未知の世界です!」
 「そうそう、MIT卒ってことでFBIから仕事頼まれてさ。四国に引っ越すことになったんだよ。だから、しばらく東京から離れるわ」

 「え、FBI!?!?」
 FBI知識が海外ドラマレベルのわたしでも、さすがに嘘だと確信した。こんなに思い切った嘘を躊躇なく繰り出せるならば、当然MITも倉木麻衣も…、そもそも『カオル』も偽名の可能性がある。彼を構成する要素のうち、真実は何%なのだろうか。
 「まぁ、お前とも会えなくなるかもしれないし、これやるよ」
  カオルさんはわたしに『すき家』と『松屋』の割引券を渡すと、人混みに消えて行った。

 わたしは割引券を見つめながら、初めてカオルさんにリアリティを感じていた。おそらく、“牛丼好きなオジサンが、東京から四国へ引っ越した”ことだけは、嘘じゃない。
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