帰りにセブンに寄るぐらいしかないんだけど
寿ハチミツ
第19話
優しいろくでなし
 20代のとき、劇団員の彼氏と付き合っていた。
 彼は、わたしが高熱で寝込んだとき、バイトと稽古の合間を縫って看病に来てくれたり、田舎からわたしの家族が東京観光へ来たときには、父の話し相手と姪の遊び相手を同時にこなしてくれるような、優しい人だった。
 劇団員は稽古漬けの日々でお金もないのに、めちゃくちゃ飲み会が多い。彼氏も貧乏大酒飲みではあったけど、根は優しい人なので気にしていなかった。
 
 ところが、付き合いが長くなるほど、「あれ?」と思うことが増えていった。彼は道行くお年寄りの重い荷物を運んであげた帰り、借金してパチスロへ行き、その足で選挙に行くのだ。一体どういう人間なのか、知れば知るほど分からなくなっていった。

 そのうち彼氏は、飲み会がある日は都心に近いわたしの家に泊まるようになった。彼は酔うとシャツがはだけて半裸で帰って来たり、転んで膝が血まみれになって帰ってきたりする。そして翌朝には一切の記憶を失っているのだ。
 一度、急性アル中を疑って夜間救急に電話したこともあって(結局何でもなかったけど)、わたしは徹夜で看病した。正気に戻った彼氏を泣きながら怒ったら、なぜか彼氏も泣き出して「ハチミツ、俺なんかと付き合ってかわいそうだよ!」と叫んでいた。

 反省したかな? と思った翌日、彼氏は泥酔状態で財布の入った鞄をなくして一文無しになり、でも当然のようにタクシーでわたしのアパートに帰ってきた。PASMOはポケットに入っていたというのに、なぜか電車は使わなかったらしい。混乱していると、彼は深刻な顔のまま無言で部屋に入っていった。残されたわたしはどうすることも出来ず、運転手さんに5千円を支払った。

 彼氏は大学時代にも財布を落としているので、大金を持ち歩くことに抵抗があるんじゃないかと勝手に決めつけていたけど、その日はなんと財布に8万も入っていたという。しかも、パチスロで儲けたときに買ったブランド物の鞄と財布(計8万)も失ったため、被害総額は16万円だった。

 その翌週、仕事が終わってスマホをチェックすると、彼氏から「(わたしの家に)○時△分発の電車乗って帰る」とベロベロに酔って誤字だらけのLINEがきていた。
 (16万失ってるのに?)頭にきたわたしは同じ電車に飛び乗ると、端っこの車両から順に奴を探した。そしてふらふらと立っているバカを見つけ、胸ぐらをつかみ、額をゴツンと合わせた。そして絞り出すように「いい加減にして」と言った。

 ケンカの間合いに入ったわたしを見て、隣に立っていた女の子がぎょっとして、わたしと彼氏を見比べてオロオロし出した。その様子にわたしも冷静さを取り戻し、そのまま彼氏とはお互い無言になった。
 すると、険悪な空気を和ませようとしてくれたのか、女の子がわざわざ「どちらで降りられるんですか? 私は大学がこの辺なんですけど…」と笑顔でわたしに話し掛けてくれたのだ。見ず知らずの女の子に気を遣わせてしまった申し訳なさと、恥ずかしさと、その親切心に胸が苦しくなった。

 翌朝、酔いの醒めた彼氏にわたしは改めて話を切り出した。
 「昨夜(ゆうべ)は電車にいた女の子に心配されて、みっともなかったけどさ…」
 「あー、それ劇団の事務員だよ。俺と一緒に帰ってた」
 え? 劇団の子…?
 耳を疑った。だって、彼はその女の子をずっと無視していたのだ。わたしと女の子が喋っている間も、彼女が先に電車を降りて手を振ってくれた時も、ずっと無視していた。
 「なんで言わなかったの!? 知らない子だと思ったよ! 気遣ってわたしに話し掛けてくれてたのに、どうして無視したの!?」何度聞いても、彼氏は無言だった。記憶が消えているのだ。そうこうしている間に出勤時間になり、仕方なくわたしは彼氏を置いて仕事へ向かった。

 仕事中、わたしの頭は優しかった頃の彼の記憶でいっぱいだった。
 彼が「お金は無いけど、ハチミツに何かあげたかったんだ」と言って、クリスマスに買ってくれた100円のオーナメントは、わたしの宝物だった。わたしが友達や職場の人の話をすると、ひとりひとりの名前を覚えてくれて、「ハチミツの周りはみんな良い人ばっかりだね」と相槌を打ってくれた。
 もう別れるしかないと思ったら、なぜかいい思い出だけが蘇ってきて、職場で泣き出しそうになるのを必死にこらえた。帰ったら彼の好きだったところもちゃんと伝えよう。いろいろあったけど、ありがとうって言いたい。そう決意して帰宅すると、今まで寝ていた彼氏が、わたしのベッドからのそのそ起き上がった。

 「なんかこの部屋、金縛りにあうわ。寝ても疲れが取れないっていうか…。やっぱ、寝具が悪いのかなぁ」

 その瞬間、わたしは全てが嫌になり、力なく「お祓いに行けば」と言った。すると彼は「役者は厄(役)落とししないんだよ」と、澄ました顔で言い放った。その態度が最高にイラッときたわたしは、大きな声で「別れたい」と言うことが出来たのだった。
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