南仏コートダジュール在住の日本人。藍の万年筆で描かれる独自の絵は不思議な魅力を放つ。個展で展示される100点ほどの絵はほぼ完売。アメブロのヨーロッパ部門で有名なブロガーでもある。
<南仏ネコ絵巻>ではフランスのネコにまつわるグッズやよもやま話をイラストとともに紹介します。
「フランス絵巻」
もうすぐ、St.バレンタインデーですね。
ジャポンでは、女から男に愛の告白をするデー。
仏国では、男から女に愛を贈るデー。
愛をカタチにすると、ランジェリー、アクセサリー、花束、チョコレート等になるよーです。
言い換えると、St.ショーセン(商戦)デー。……。
仏国のランジェリー&ニュイゼット(寝間着)は、情熱的な赤や、レース素材が主流。
これは、仏国の女達が“セクスィーを重視”していることを表しております。

仏女はこんなん着て寝ル。見せる演出。
仏国ではパジャマは充実しておりません。なぜなら、セクスィーさに欠けるせい。

日仏の寝間着(ネマキ)事情からも、カルチャーの違いをみてとれますね。
仏女のセクシー重視に対して、日本の女達は、可愛い重視。日本はパジャマが充実している。
“歳を取っても可愛いオバーチャンでいたい”とかって、ジャポネーズがよく言いますけど、フレンチマダムが、そんなん言うてんの一回も聞いたことないス。
“可愛いオバーチャンになりたい”というのは、そういう発言をする“自分って可愛いでしょ”という媚びがすでに入ってますね。
それは自然なことで、何ジンでも、例外なく、自国のカルチャーに支配されているのです。
“謙虚で可愛らしい女性像”が褒め称えられる日本では、そういう発言が国に馴染むわけです。
要するに、需要の問題なんですわ。
時代は長年、男が動かしてきましたから、その国の男達が“可憐な女性を賛美”すれば、女達も無意識に、自分をその型をあわせるようになります。
仏国のように、男達が、“成熟したセクスィーを賞賛”すれば、女達もセクスィーに育っていくわけです。
もうこれは、その国の生まれもった性質ですから、色白を美人とする日本と、色黒を美人とする仏国、みたいな美意識の差なのであります。
長い間に構築された美意識は、昨日今日で、急に変わるということはありませんけれど、時代はジョジョに変化しております。
緩慢な変化が、ある転換点にさしかかると、それまでの価値観が逆転するような現象が起こるそうです。
数年前にその転換点を迎えた今、これからは、女が主導権を握る時代になるラシイ。
そのキザシはハッキリみえております。女に有利な法律が次々と成立してますもんね。
女を辱めると、男がコテンパンにされる時代です。

とはいえ、本来の女性らしさは、芯は強く、表面はフンワリ優しく柔らかいもの。
大きな声でガナリ立てて男を罵倒したり、男を敵視して、やっつける姿は、女性性を欠いていて、完全にオス化しています。
あまり美しくない。
時代はツネに流れているものですから、あとになって、“あれはマチガイだった”という事が必ず出てきますけれども、その時代、その時代で“その時の最善”を選択してきたものです。
ゆえに、ハリウッドの女優陣のように、刀をふりかざして、男に仕返しする姿は、ガチガチに勇ましすぎて、個人的には好きになれません。
セクハラに関して賛否はあるでしょうけど、仏女・ブリジット・バルドーが言った「男性から“キミのお尻のカタチ可愛いね”って言われると嬉しかったわよ」という感覚が、ワテ好み。
猫の話をしろ?
はい。これからの時代、モテる女は、ズバリ猫型です(いきなり)。

相手に合わせず、我が道を、しなやかに進む女が、時代にマッチングゥ~するのです。
おイヌのように、会うたびに尾っぽを振り、相手が喜ぶことを率先してやってしまう女は、最初は喜ばれても、早いうちに飽きられます。
パターンが読めてしまう女は、危険こそないものの、面白みに欠けるんですね。
いまだ多くのジャポネーズがやりがちなエラーは、相手の好きなものを自分も好きになり、相手の趣向を研究して同じ趣味になり、何もかも相手色に染まること。
どんどん、ツマンネー女に成り下がっていく典型パターンです。
相手の胃袋を掴むという思想も、このカテゴリーに入ります。
胃袋を掴む=相手の為に好みの料理を作るわけですから、一見、甲斐甲斐しくみえますが、“相手の心をつかみたい”、“自分に執心させたい”、“自分の存在価値を植え付けたい”という厚かましいコントロール願望が潜在下にあります。
“アナタの為を想ってやっている”という発言をよくする女性は、お気をつけあそばしね。
すべては“自分が選択してやっていること”(=自分の為)という認識を持たない限り、好きな人からは永久にウザがられます。
ところで。
猫型の時代といっても、皆が同じ猫を目指す必要はありません。三毛猫がシャム猫になろうとすると失敗します。
世の中には、“俺はエキゾしか愛せない。エキゾ以外は猫じゃねえ!”という需要もあるわけですから、エキゾのままで居続けることが肝心なのです。
そして、エキゾがロシアンぶることを、猫かぶり、といいます。
人と会った後、ドっと疲れてしまう人は、自分が猫をかぶっていることが原因ラシイです。
ほんとはロシアンなのに、エキゾぶっていたり、エキゾなのに、シャム猫として対話するから疲れるのです。
別の猫になる努力をするのではなく、いかなる時も、素の猫でいることを徹底すれば、結果的に、猫かわいがりされるようになりますヨ。
と、オチがついたところで、以上、“猫の法則”で、バレンタインに彼のハートを射止めてくださいニャ🐈
