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ドット絵の匠・
インタビューシリーズ❻

こだわり過ぎる会社 インディーズゼロ 編

第1回:『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』を作るべき会社

※取材・文:とみさわ昭仁
※撮影:鈴木昭寿
※編集:山本直人(株式会社アンビット)
取材協力:株式会社バンダイナムコエンターテインメント
     有限会社インディーズゼロ
鈴井さん写真 有限会社インディーズゼロ 代表取締役社長 鈴井匡伸さん

■『マイティボンジャック』クリアの奇跡を目撃

──では、早速『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』のお話からうかがいます。そもそも、あのゲームは『ゲームセンターCX』という番組の中で企画が立ち上がったんですよね。

鈴井 そうです。いちばん最初から話しますと、『オシャレ魔女 ラブandベリー DSコレクション』の開発が終わって、セガさんに次の企画のプレゼンをしに行きました。その帰り、どしゃぶりの雨の大鳥居の喫茶店で反省会をしていたら携帯が鳴って、出てみたらバンナム(株式会社バンダイナムコエンターテインメント)の内山さん。「ゲームセンターCXっていう番組があるんだけど、それのゲームを作ってみない?」と。

──内山さんというのは、鈴井社長がバンダイに勤めてらしたときの先輩ですね。

鈴井 そうです。じつはその一ヶ月くらい前に内山さんとは食事をご一緒していて、そのときに「いまこんな感じで会社をやっていまして……」って話をしていたんですね。そうしたら、「まだインディーズゼロという会社は、バンダイナムコと仕事するには早い」なんて言われまして。

──あらま、辛辣な。

鈴井 「もっと組織力を高めて、これこれこういう風にしていかなければうちとは仕事できないよ」って言われまして。

──先輩から愛のあるムチですね。

鈴井 その一ヶ月後に「どうも〜、内山で〜す。いまライン空いてる? 仕事しない?」って。「ゲームセンターCXって知ってる?」って言うから、「見てます。好きですよ」って答えたら、それをゲームにするんだけど、一緒にやろうか? みたいな、そんな電話でした。

──わはは、ちゃんと先輩は気にかけてくださっていたんですね。

鈴井 それで勝手に妄想がふくらんだだけの企画書というか、落書きみたいなものを描いていったんですね。DSの上画面でレトロ風のゲームをプレイして、下画面にはそれを遊んでいる少年たちの姿が映っていて、ゲームしながらツッコミを入れたりボケたりするという。

──あ、でもこの妄想段階からかなり完成形に近いですね。

『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』企画書
これが妄想をふくらませた際に描いた企画書。完成した製品に盛り込まれた要素のほとんどが、この時点で提案されている。

実際の『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』の画面
実際の『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』の画面。ほぼ上の落書きそのままのイメージに仕上がっている。

鈴井 そういうことがあってから、バンナムの佐々木さん(※このインタビューにも同席されている佐々木夕介プロデューサー)から連絡をいただいて、まずは番組の皆さんにご挨拶しに行こうよ、と。それで「ちょうど『マイティボンジャック』に生挑戦するイベントがあるから見に行かない?」って言われて。

──それって、あの伝説のイベントじゃないですか!

鈴井 そう、一ツ橋ホールで満員の観客を前に有野さんがライブで挑戦したというあれ。最初はうまくいかずにグダグダしてたんですけど、だんだんうまくいきはじめてグワーッと会場中のテンションもあがって、最後、劇的にクリアーするところを見ちゃったんですね。

──あの奇跡を生で見ましたかー。

鈴井 それで、イベントが終わって楽屋までご挨拶に……と思ったら、佐々木さんに「今日は皆さん忙しそうだからこのまま帰ろう」なんて言われて。「ええ〜っ!? ご紹介いただけるんじゃなかったんですか!?」って。

──わははは。でも、あの会場の一体感を味わったうえで、この『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』が作られたのだと思うと、また味わいが深くなりますね。

『マイティボンジャック』に挑戦
2006年12月23日に一ツ橋ホールでファン感謝デーイベントで、600人を超える観客の前で『マイティボンジャック』に挑戦。見事にクリアを果たした。その挑戦の経緯とドラマで構成した映画「ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティボンジャック」が2014年2月に公開された。
『有野の挑戦状』のご縁で、教師役として鈴井さんもチラッと出演している。

バンダイナムコゲームズの佐々木さんと伊藤さん
バンダイナムコエンターテインメントの佐々木夕介さん(手前・左)と伊藤麻矢さん(手前・右)。後ろにずらっと並んでいるのは『有野の挑戦状』『有野の挑戦状2』の開発資料が綴じられたファイル。

■インディーズゼロという会社に合ってる仕事

──プロジェクトがスタートしてから、番組内企画として、有野さんをはじめとする番組のスタッフ、バンナムさん、それにインディーズゼロの皆さんで企画会議を開きますよね。

鈴井 そうです。番組でも放映されていましたが、まずは番組側とか有野さんがどういうふうにしたいのか、ご希望をうかがいながら方向性を固めていきました。そんな始まり方でしたね。

──「つっぱり大名」とか「ハイブリッジ名人」とか、無茶なアイデアがいろいろ出ていました。実際にゲームを作らなきゃならない側としては困ったでしょう。

鈴井 番組が盛り上がれば、それは全然かまわないんです。うちとしては最初にお話をいただいたときから迷いはなくて、インディーズゼロという会社に合ってる仕事だなと思いました。ファミコンでゲームの開発を経験してきたメンバーが何人かいたので、ファミコンの内部構造を知ってるし、どういうデータで動いてるかも知ってる。当時を現役で仕事してきた人間が自分も含めて何人かいて、『ゲームセンターCX』の番組も見ていた。

──そりゃもう作るしかない。

鈴井 うちの田中(※シニアグラフィックデザイナーの田中伸明さん)なんかは全話見てるんですよ。ご意見番としてこれ以上の人材はいないです。それで、なおかつ先方から要望はあるんだけど、ぼくたちからの提案も好意的に受け止めてくれた。最初からどこにも断る理由がないんです。チームとしてもみんなの力が生きるし、完成形のイメージも想像がつくし、唯一のネックは予算があまりにも安いことだったんですけど(笑)。

──番組では、有野さんご本人が何度もこちらに来ていたようですね。

鈴井 そうなんですよ。番組の収録も兼ねてはいましたが、それだけじゃなくて内容の確認とか、有野さんがキーワードとして「これは入れたい!」っていうアイデアを持って、何度も来てくださいました。

──ただの仕事を越えた何かがありますね。

鈴井 常識的な無茶振りをいただきました(笑)。あまりにも非常識なやつはスルーしたり、ものによっては相談したりもしましたけど、でも、この無茶振りをどうやって実現してやろうか、みたいな気持ちではありましたね。

──まさに、有野さんから挑戦状を受け取ったようなもんじゃないですか。

鈴井 ほんと、そんな感じです。逆に、ぼくらの方からも、きっと有野さんはこういうの好きだろうなっていうアイデアを提案したりして。ツーコンふーふー(※2P用コントローラーのマイクを吹いて何かをするような裏ワザ)とか。企画を固めていく作業を通じて、そういう対話ができたというのは、非常によかったなあと思ってます。

──鈴井社長としては、古巣であったバンダイの先輩への恩であるとか、今後のお付き合いをさらに深めるためであるとか、そういったこともこの仕事の動機にはあったのではないですか。

鈴井 それもあるし、やっぱり単純に企画の内容が以前からやりたかったことでもあって、それはぼくだけじゃなくて、田中とか松本(※デザインディレクターの松本義一郎さん)とか、社内の人間もみんなやりたかったんですよ。王道というか、ゲームらしいゲームというものを作る仕事がしたい。そんな欲求があったんですね。現場のみんなはそういうことに飢えていたと思うし。

インディーズゼロの田中さんと松本さん
インディーズゼロの田中伸明さん(右)と松本義一郎さん(中央)。
机に置かれているのは当時の資料と、よゐこの有野さんほかのスタッフと撮影した記念写真。

■誰もが喜べる仕事にこそ、いちばん力が出る

──田中さんは番組の中でも、『ゲームセンターCX』の大ファンとして登場されてましたね。あれを見て思ったんですが、最初に社長から「次はこういうプロジェクトをやるよ」ってきかされたとき、かなりうれしかったんじゃないですか?

田中 実際に第一報をきいたときはまだどんなソフトになるのか自分の中ではつかめていなかったので、驚きと困惑が両方あったという感じですね。あの『ゲームセンターCX』に関われる! っていう喜びと、どうなるんだろう……っていう不安。そこのゆらぎはありました。その後、だんだんと企画意図が明らかになって、ゲームinゲームっていうスタイルでファミコンっぽいものを作るんだ、ということがわかってきたときはもう「うおお〜、やったあ〜!」って感じです。

──ですよねえ(笑)。

鈴井 開発の現場もうれしい、お客さんもうれしい。そんなふうにみんなのテンションが上がるものを作れるというのは、いちばん力が出るんです。

──鈴井さんたちもテレビに出るっていうのは、最初から決まっていたんですか?

鈴井 そうですね。あの企画会議もそうですし、制作過程を逐一番組で見せていくことはもう決まっていました。それは我々にとっても会社の宣伝になるから、メリットがありました。

──逆に、人気番組のゲーム化ということで、プレッシャーもあったのではないかと思うのですが。

鈴井 それはまったくありませんでしたね。むしろ、自分たちが作るものをお客さんは絶対に喜んでくれると思い込んでいて、プレッシャーとか、これがおもしろくないとか、全然疑っていませんでした。だって、自分も含めて当時の子供たちが最高に熱を上げていた時代そのものを作るのだから、それはおもしろくなるに決まっていると信じてました。

──開発スタッフはどういう編成で取り組んでいったのでしょう。

鈴井 当時は社内に2チームあって。

──1チームあたり何人くらいですか?

鈴井 だいたい10人、10人ずつだったと思うんですが、そのうちひとつのチームは別のタイトルの制作をしていたので、残りのもう1チームが引き受けたという感じ。

──では、その『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』を作るチームは最初から決まっていた、ということになるんですかね。わたしは社長がみんなを集めて「これやりたい人〜?」って志願者を募ったのかな、なんてイメージしていたんですが。

鈴井 そういう感じではなかったですね。別タイトルのほうもちゃんとクオリティの高いものを作らないといけなかったし、それぞれのプロジェクトに適性の合うスタッフを振り分ける、そういう人選にはすごく神経を使いました。

──すると、田中さんが『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』の開発メンバーに入れない、なんて可能性もあったのでは?

鈴井 さすがにそれはないよね(笑)。

田中 他のプロジェクトの進行状況によってはそういう可能性があったかもしれませんが。

──田中さんが『ゲームセンターCX』の大ファンだというのは、社内で知れ渡っていました?

田中 いや、とくにそういうわけではなかったと思います。

鈴井 我々は、ほんとに狭い小さな会社ですので、そういう話が出たらすぐに「あ、それぼく大好きで!」という会話が発生しちゃうような距離感なんですよ。ぼくがメーカーさんから仕事の相談をもらってきて、こんな話が来てるんだけど……って社内で話したら「おお、何々?」ってみんなで考えるっていう。

──朝礼で「今期はこれこれこういうプロジェクトがありまして……」とか、そういう上意下達の感じではないんですね。

鈴井 社内じゃ誰もぼくを社長と呼びませんですから(笑)。ぼくが決定事項を伝えるというよりも、まず「こんな話が来てるよ」っていうところから話しちゃって、その時点でみんなの反応や空気を見ながら、これはいけそうだなとか、これはちょっとやめた方がいいのかなとか、そういう仕事の進め方をしているんです。

──『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』は、そういう社風ともピッタリ合っていたんですね。

第2回へ続く

●『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』
ⒸFUJI TELEVISION ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.
●『ゲームセンターCX 有野の挑戦状2』
ⒸFUJI TELEVISION ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.
●『ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティボンジャック』
Ⓒ2014 ハピネット/ガスコイン・カンパニー

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