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ファミ熱!! ゲームの匠

ドット絵の匠・
インタビューシリーズ❹

ユウラボさん

第3回:父が遊びを作ることのおもしろさを教えてくれた

※取材・文:とみさわ昭仁
※撮影・編集:山本悠作(アンビット)
※取材協力:株式会社MEGAROAD

ユウラボさん

■子供の頃は大工さんになりたかった

──子供の頃の話をきかせてください。まずは生年月日とご出身を。

ユウラボ 1974年生まれ、いま42歳かな。出身は滋賀県。信楽と栗東のあいだくらいのところです。

──信楽はタヌキの焼き物で有名、栗東は競馬のトレーニングセンターがあるところですね。何歳くらいまでそちらにいらしたんですか?

ユウラボ 19歳で美術系の専門学校に進学するため大阪に来ました。

──滋賀県時代はどんな遊びをしていましたか。

ユウラボ 田舎だったんで、ゲームが登場する前は何も娯楽がなかったです。放課後になると友達と学校の裏山へ行って、ノコギリとかカナヅチで秘密基地作ったりとか、そんな感じ。ちょうど倒れた木があって、その下をくぐって屋根を付けたりして。いい感じにツタが下がっていて。アケビを採って食べたりもしました。

──典型的な田舎の男の子ですね。将来の夢、こんな仕事に就きたいというものはありましたか?

ユウラボ 大工ですね。

──えっ? それは何かの影響で?

ユウラボ いや、なんでしょうね、いつからかわからないけど、大工になりたいって言ってた記憶があります。

──家が工務店だったとか、親戚に大工さんがいたとか、そういうことではなく?

ユウラボ 違いますね。うちの親は公務員でした。子供の頃は職業の種類なんてあまり知らないでしょう? 小学2年生のときに家を新築したんで、そのときにいちばん近くで見てた職業だったんでしょうね。

──先ほど、美術系の専門学校に進学されたとおっしゃいましたが、どこかでそういう絵を描いたり物を作ったりすることへの興味が芽生えたはずだと思うんですが。

ユウラボ 絵を描くのは小さい頃から好きだったんで。

──それを職業にしようとは、子供の頃は考えませんでしたか?

ユウラボ 絵を描くことが職業になるというのが、わからなかったんでしょうね。マンガの本を読んでも、マンガ家さんが職業として描いてるということは意識してなかったはずなので。

■中学3年、進路相談で「ドッターになりたい」と

ユウラボ その後、ファミコンが出てきて、パソコンが出てきて、それでゲームのようなものを作るようになって、それを職業にしている人たちがいるというのを知って、じゃあ自分もそっちの道を目指そうかなと。

──そこからゲームデザイナーの道に進み始めた。いや、ユウラボさんの場合はグラフィックへの興味が先か。

ユウラボ ドッターになりたいというのを、中学3年の進路相談のときに言ってました。先生には「ドッターって何?」ってきかれましたけど(笑)。「ゲームのドットを打つ人です」みたいな。

──その頃にそれを職業として認識していましたか。何から得た知識だろう。パソコン雑誌?

ユウラボ そうですね。仲のよかった友達がMSXを持っていたので、ぼくも親に買ってもらったんです。『MSX FAN』とか毎月読んでました。読者からの投稿プログラムを打ち込めば、雑誌代だけでゲームが10本くらい遊べるんで。

──ご自身でも投稿したことは?

ユウラボ 全然全然(笑)。その頃は遊ぶの専門で。掲載されている人たちに憧れてました。

──では、進路として美術系の専門学校を選んだというのは、ゲームのグラフィックデザイナーを目指したわけですか。

ユウラボ そうですね、漠然としたものでありましたけど、ゲームのグラフィック関係に就きたいなと思って。

──それで卒業されて、ゲーム会社に就職……はしてませんよね。

ユウラボ 最初はそれも考えていましたが、あまり学校に募集が来ていなかったんです。何社か入社試験を受けたところもあるんですけど、面接で落ちたり(笑)。そういえば、ナツメ(※現在はナツメアタリ株式会社)さんでバイトをしたこともありますね。末端の末端のバイトなんで、自分が何のゲームに関わっているのかもわからなかったですが。

──ナツメさんもファミコンの頃から長く続いている会社ですね。

ユウラボ その後も携帯Flashの仕事でまた声をかけていただいたりしました。『メダロット』がヒットして、でっかいとこに引っ越していて。

■父の手作りのドライブゲーム

──ここまでお話をうかがった感じでは、ユウラボさんは絵を描くにせよ、ゲームを作るにせよ、ほとんど自己流ですよね。どこかの会社で上司に教わったとか、師匠のような人がいないわけですから。

ユウラボ あのですね、昔、うちの父がこういうものを作ってくれていたんですよ(と、ここで謎のロール紙を取り出す。そこにはクネクネと道路が描かれている)。

──あっ、懐かしい! デパートの屋上とかにこういうドライブゲームありましたよね。え? ということは、これをお父さんがクルクルと引き出しながら、ユウラボ少年に「はい、ここで道が二股に分かれています。どっち行く?」って言ったりするんだ!

ユウラボ そうです。で、やり方さえわかれば自分でも真似できるので、いろんなバリエーションのものを作ったりして。

──これはすごい! ユウラボさんの遊び作りの原点が、こういうところにあったんですね。

手作りのドライブゲーム
これは、子供の頃にお父様が作ってくれたものを、インタビューのために当日の朝、ユウラボさんが新たに作って来てくださったもの。
スタートから始まって道が分岐している。どっちに進もうか……? よし、右だ

手作りのドライブゲーム
左の道を進んだら毒蛇がいてアウト!
右の道を進んで良かった……!

手作りのドライブゲーム
分かれ道で見えない先を予想しながら手でスクロールさせてゴールを目指す巻物のゲームでした。

ユウラボ 他にも「タクシーゲーム」というのを作ってくれて、すごろくというか、ルール的には『桃鉄』に近いと思うんですけど。紙に簡単な道路地図を描いて「駅」とか「公園」「学校」「本屋」なんかを描き込む。そしてカードを引いて「公園」と出たら、みんな一斉にそこへ向かい、先に着いた人がお金をもらえる。また行き先のカードを引いて……というふうに繰り返して競うんです。

──ああ、まさしく『桃鉄』ですねえ。

ユウラボ これをファミコンが出るよりも前に作ってくれていたんです。それで、やはりまた真似をしてカレンダーの裏に自分でマップを描いたりして。

──あのー、お父さんって何者なんですか。普通の公務員だっておっしゃってましたが。

ユウラボ 仕事は公務員なんですけど、趣味で絵を描いたり陶芸やったりしてました。ぼくが子供の頃は家の茶碗や箸置きなどは、父が焼いた物でしたから。

──うははは! それ最高。でも、ファミコンと出会う前にこういう自分で何かを作ることのおもしろさを教えてもらったら、そりゃあこっちの道に進むでしょうね。

ユウラボ だから、こういうことをいまデジタルでやるようになったのは、ぼくにとってはすごく自然な流れなんです。

第4回へ続く

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