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ファミ熱!! ゲームの匠

ドット絵の匠・
インタビューシリーズ❸

『FF』のドット絵師 渋谷員子 編

第2回:よそ者を自由に働かせてくれた人の存在

※取材・文:とみさわ昭仁
※撮影:木内章浩
※編集:山本悠作(アンビット)
※取材協力:コート・ダジュール 志木店
☆よしみるさん写真

■けいさんゲームのお花畑を担当する

──ハル研時代には、他にどんなゲームに参加されましたか?

☆よしみる MSX版の『ガルフォース』が終わったあとは、ファミコン版の『ガルフォース』です。

ガルフォース
1986年にファミリーコンピュータ ディスクシステム用ソフトとして登場。
中身はMSX版『ガルフォース カオスの攻防』と同様に、ハードなシューティングゲームだ。

──ディスクシステムのやつですね! それはぼくも遊びました。

☆よしみる これもプロジェクトにがっつり関わっていたわけではなくて、マイシップ(自機)のアニメーション。それからエフェクトとか変形とか、デザインもふくめてですけど、マイシップ全体のドット絵を担当しました。

──それは知りませんでした。で、その次は?

☆よしみる これも開発はハル研なんですけど、東京書籍の『けいさんゲーム(算数5・6年)』ですね。小数のかけ算、わり算を題材にしたゲームで、かけ算のほうがSFチックで、わり算のほうはお花畑で女の子が花を育てるというゲーム。そのお花畑のほうを担当しました

──えー、☆よしみるさんが参加してるのにSFじゃないほうだなんて!(笑)

☆よしみる でも、それはけっこう自由にやらせていただいて、絵的にもアニメーション的にも本当に自分の絵柄が出ている作品です。女の子のマイキャラが歩くアニメーションとか、いろんなアクションがありまして、小っちゃいんだけど髪の毛をなびかせたりとか。

──『けいさんゲーム』なのにそんな小技を。

☆よしみる そういうのを好きにやらせてもらえたので、楽しい仕事でしたね。

──ウィキペディアによると、『ファイヤーバム』というゲームにも関わられていたようですね。これ全然知りませんでした。

☆よしみる 『ファイヤーバム』もディスクシステムのゲームなんですけど、これはヘルプという形で参加して、アニメーションのお手伝いをしました。

ファイヤーバム

──で、そこから『メタルスレイダーグローリー』に入る感じでしょうか。

☆よしみる そうですね。この頃あたりからファミコンというものが、スペック的にも市場的にもわかってきたので、会社がゲーム企画を募るようになりました。

──ハル研という会社は、もともとパソコンの周辺機器を作ったり、いわゆるシステム開発の会社ですよね。

☆よしみる そうです。それでファミコンがすごいブームになってきたので、ハル研でもせっかくだから自社ブランドのゲームをリリースしたいと。だけど、当時はハル研の社内にデザイン部門というんですかね、企画、クリエイティブな部署がなかったんですよ。

──技術屋集団だったんですね。

☆よしみる のちにそういう部署ができることにはなるんですけど、それまでは、学生やぼくみたいなフリーランスの者が持ち込んだ企画を受け付けていて、それで開発するにふさわしい企画であれば、プログラマーとかスタッフをハル研社内で用意して、プロジェクトチームとして組んでいたわけです。そういうタイミングのときに、ぼくが提出したのが、『メタルスレイダーグローリー』の企画だったと。

■見たことのない画面のインパクト

『メタルスレイダーグローリー』企画書の表紙だ
これが、『メタルスレイダーグローリー』企画書の表紙だ!
表紙にまで構想のメモが残っている。

メタルスレイダーグローリー
当時のファミコンの限界を越えた、美麗なグラフィック。
プレゼンテーションでの説得力は絶大だったと思われる。

──いろいろな企画があったと思うのですが、それをすべて作るわけにはいきません。その中で『メタルスレイダーグローリー』にGOサインが出たのは、なぜだったと思われますか?

☆よしみる ぼくの心象としてですが、おそらく“画面の新しさ”ではないでしょうか。企画を出すときに、プレゼンテーションと言ってもいまほどちゃんとしたプレゼンではなくて、企画書の真似事のようなものと、「こんな画面になりますよ」という見本のグラフィックをいくつか用意していきました。それでプレゼンの順番を待っているときにモニターで確認していたら、ちょうどそこに岩田さん(註:岩田聡氏。のちの任天堂社長。故人)が通りかかって、そのグラフィックをご覧になったんですね。そうしたら、それでもうほとんどプレゼンなしでGOが出たんです(笑)。

──わはは、話が早い! その当時の岩田さんって、社内の立場的には?

☆よしみる 開発部長です。

──じゃあ、それなりの権限は持たれていますね。どんなふうにおっしゃってましたか?

☆よしみる 直接、岩田さんからそのときの印象をきいたわけではないんですが、周囲の方々が言うには「こんなグラフィック、ファミコンじゃ見たことがないね」とおっしゃっていたそうです。

──岩田さんがそんなことを!

☆よしみる 実際にそれがゲームになったとき、つまり完成形を見てみたくなった、ということではないかと、ぼくは想像してるんですけれど。

メタルスレイダーグローリー・ファンブック
1991年に出版された『メタルスレイダーグローリー・ファンブック』
(発行:JICC出版)
【資料写真協力:松原圭吾@攻略本研究家

──この本(上写真参照)にも、その辺のいきさつが書いてありましたね。ただ、あの岩田さんが1枚か2枚のグラフィックを見ただけで、ゲームの開発を決めることはないだろうと思っていたんです。つまり、そのゲームの根幹となる“遊び”の部分はどうなのか、そこに合格点がなければGOサインなんか出さないだろうと。それで「なぜかな?」と思っていたんですけど、いま☆よしみるさんのお話を伺っていて感じたのは、「見たことのない画面のインパクト」ということですよね。もしもこれが製品として世に出たら、それだけで人の心をつかむだろう。そういうことを、岩田さんは1枚のグラフィックから感じ取ったのでしょうね。

☆よしみる あとでご説明もできると思いますけども、ファミコンの画面というのは一画面に表示できる8×8ドットのキャラクター数に制限があって、実際にはスプライトとBG(背景)とを合わせて、テレビ画面の半分の領域しかないんですよ。ようは8×8のものが16×16のキャラクターバンクというのがあって、それがテレビ画面で言うとちょうど4分の1になるんですけど、それが2画面しかない。それですべてを表現しなきゃいけないということがあるので、こういうベタ描きをしている絵を表示しようとすると領域が足りなくなるんです。でも、それが実際に画面の中で目がパチパチ瞬いたり、口パクもふくめて動いていたりしたのが、きっと岩田さんにとっておもしろかったんじゃないのかな。

──そういうことなんでしょうね。あの頃、ファミコンでは大きいキャラクターを表示するのがとても困難でした。

☆よしみる そうなんです。ファミコンで大きい絵を出すのはかなりインパクトがありました。

──キャラもそうですし、背景の絵だって1枚でこういう絵を描くのはとても難しいと言われていました。だから、16×16ドットのパーツを繰り返し表示するようなスタイルの背景がほとんどでした。……さて、そんないきさつでプロジェクトにGOサインが出たのが87年ですね。これは当時の仕様書ですか?

『メタルスレイダーグローリー』の開発着手前の仕様書
☆よしみる先生秘蔵の『メタルスレイダーグローリー』の開発着手前の仕様書。画面のイメージがわかるようになっている。

☆よしみる 本物はサイズがもっとデカいので、これはデータをプリントアウトしたものなんですけど、任天堂がファミコン開発で画面構成をするときに使っているのと同じものですね。

──そんなの、ここに掲載して大丈夫ですか?

☆よしみる たぶん大丈夫でしょう(笑)。こういうレイアウト用紙で、この線から内側がテレビの画面で実際に表示されるエリアだよとか、そういうグラフィックの指定をしていくわけです。『メタルスレイダーグローリー』の開発をはじめるときも、こうした書式で進めていきましょうと、最初に教えてもらいました。

■100%自由に作らせてもらえた

『メタルスレイダーグローリー』開発当時の仕様書
開発当時の仕様書。
イラストレーターだった☆よしみる先生の図解が、とてもわかりやすい!

──プロジェクトがスタートして、☆よしみるさんがこなされた作業はどういう感じになるんでしょう? 企画発案者であり、ディレクターもやっただろうし、グラフィックデザイナーでもありますよね。

☆よしみる なんでもやりました。逆にやってないことは、プログラムと音楽くらいですね。

──仕様を書いて、絵コンテを書いて……。

☆よしみる ゲームシステムを考えて、シナリオを書いて、実際のグラフィックを描いて、アニメーションもさせて、音付けとかの演出の指示もして。

──ものすごい作業量です。

☆よしみる でもね、当時のゲームって一人が司るということが多かったような気がするんです。いまみたいに、大人数のチームではなかったから。

──わかります。しかし、1987年に企画を出して、発売されたのが1991年ですから、足かけ4年かかったことになりますね。

☆よしみる 実際に企画がOKになってから最初の半年くらいは、プログラマーさんに「こういうゲームを作りたいんだ」「こういう内容のこういうシステムが要るんだ」ということをお伝えして、そこからさらに3ヶ月くらいはプログラマーさんのほうで『メタルスレイダーグローリー』用のベースのシステムを作る期間が必要となります。

──建築の基礎工事みたいなもんですね。

☆よしみる はい。『メタルスレイダーグローリー』の場合はAGL(Adventure Game Language)というプログラムが主要な部分を占めていて、それは全体の管理用プログラムで、そこの部分ができてないと、シナリオを打ち込むことすらできない。だから、ブログラマーさんがそれを作っている間に、ぼくは3ヵ月くらいかけてシナリオを考え、フローチャートを書き、セリフも書き終えておきました。

──ゲームの全体像を考えていった、ということですね。

☆よしみる 当時はワープロがなかったので、全部手書きなんですよ(笑)。

──あの頃はそうでしょうねえ。あのー、ちょっと下世話な話ですけれど、☆よしみるさんはハル研の社員じゃないですよね。開発に4年間もかかっていたら、その間の生活費って、どうされていたんでしょう?

☆よしみる 当然、お金は持ち出しです(笑)。

──笑顔でおっしゃってるけど、それは辛かったでしょう……。たとえば、開発費の前渡し金をいくらかもらったりしてないんですか?

☆よしみる あのときは完全ロイヤルティ契約にしていたので、製品が発売されて以降じゃないと、お金が入ってこないんですよ。

──ああー。

☆よしみる それでも、当時は実家に身を寄せていましたから、お金がなくたって飢え死にすることはありませんから。

──ふふふ。あの頃にハル研で仕事をしていて、印象としてはどうでした? 仕事しやすい環境でしたか?

☆よしみる トップダウンという言い方はおかしいかもしれないですけど、岩田さんが背後ですごくよくしてくれていたようですね。

──あ、やはり! 『メタルスレイダーグローリー』に関しては、ぼくも☆よしみるさんがハル研社内の人間ではないのを知っていましたし、外からの持ち込みでこんな無茶な企画が製品化までいくというのは、まず普通はあり得ないと思うんですよ。だから、これが完成に至った背景には、いろんな奇跡があったんだろうなと、外部から想像していて。

☆よしみる そうでしょうねえ(笑)。

──でも、薄々「岩田さんがなんかしら働きかけたんだろうな……」と、あの方の人柄とか能力をぼくも多少なりとも知っていますから、だいたい想像はついていて、まさしくいま、そのとおりのお答えを知ることができて感激しているところです。

☆よしみる そういうことなので、いわゆる社外の人間がプロジェクトを持ち込んだときの、社内からの横槍や軋轢みたいなものは、一切なかったです。本当に最後までやりたいことをやらせてもらえて、100%自分の色合いが出せました。ハル研の社内からも、作品に対するクレームとか修正依頼はまったくゼロで。

──それはすごいなー。

☆よしみる ちょっとエッチな表現に対して自主規制みたいなことは、のちに出てくるんですけど、それ以外のところではシナリオもビジュアルも100%自由でしたね。

ヒロインのシャワーシーンのドット絵
自主規制された、ヒロインのシャワーシーンのドット絵。
ファンブックの中でだけ公開されている幻のグラフィックなのだ。

(第3回は4月28日更新です)

★記事に登場したゲームの情報★

※『メタルスレイダーグローリー』は2017年4月現在、Wii UのバーチャルコンソールWiiのバーチャルコンソールで配信中です。

『メタルスレイダーグローリー』のLINEスタンプが配信中です。
LINEスタンプ

ドット絵の匠
インタビューシリーズ❸
ファミコンで最も精緻なドット絵
☆よしみる 編

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