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ファミ熱!! ゲームの匠

ドット絵の匠・
インタビューシリーズ❷

『FF』のドット絵師 渋谷員子 編

第5回:様々な作家の影響をうけながら

※取材・文:とみさわ昭仁
※撮影:株式会社プロダクションベイジュ 鎌田重昭
※取材協力:株式会社スクウェア・エニックス
渋谷さん写真

■自分の絵が世間に認められること

──ちょっと変なことをお伺いします。渋谷さんはこれまで仕事をする中で、天野喜孝さんや小林智美さんといった著名なアーティストの方とやり取りすることが多かったと思います。そうしたときに……嫉妬心というか、うらやむような気持ちをもったことはありませんでしたか?

渋谷 全然ないですよ。

──ないですか。「私も(天野さんや小林さんのような)あっち側へ行きたい」みたいな。

渋谷 まったくないですよ(笑)。

──ゲームのために絵を描く仕事にキチンと誇りをもっていらした、ということですかね。

渋谷 そうですね。私、イラストレーターになりたいとは思っていなかったので。たとえ目指してもイラストレーターになれたかどうかはわからないです。漫画も、本気で漫画家になりたかったら、高校生ぐらいでたくさん描いて持ち込んでるはずですよね。実際にそういう同級生がいましたし。

──アニメーターは、一度はなりたいと思ったけど、やっぱりピンと来なかった。

渋谷 だけど、絵の仕事はしたかったので、なんとなくゲームの方へ進んだ。「ゲームか……、まあいいや、ゲームでも」って。それで始めてみたら、仕事としておもしろい。

──その考えが変わってきたのって、どのあたりですかね? もしかしたら、これは私の天職かも、みたいな。

渋谷 天職とまでは言いませんが、それでも、やっぱり『FF』が売れたことでしょうね。たくさん売れて、世間に認知されるようになって、自分が絵を描いたものが世の中の人たちに認められた……。

──その達成感は大きいですね。

渋谷 それは私だけのことじゃなくて、当時の『FF』チームの仲間はみんなそうだと思います。自分のやったことが会社の役に立って、褒められたって言うとおかしいですけど、収入の面でも待遇がよくなり、それが「次もがんばろう」というサイクルになる。

──時代のよさもあったかもしれませんね。

渋谷 それもありますね。仕事に注いだ情熱が、それに見合った報酬として得られて、世間に認められるというのは、いまはあまり実感できにくい時代になっている気がします。でも、それを私は20代のうちに体験できたので、それはすごくありがたい時代を生きてこれたと思います。

──専門学校にあの求人があったおかげで(笑)。

渋谷 そうなんです、あのときスクウェアで「この学校にも求人を出そう」って言った方とは、いまでも懇意にさせていただいています。

──その方はまだ会社に?

渋谷 もう、いらっしゃらないんです。それでもまだお付き合いはあって、「あのときオレが求人を出さなかったら、員子ちゃんとも出会えなかったね」なんて(笑)。もう還暦を過ぎている方ですが、いまでも本当によくしていただいています。

■年が近い者同士で和気藹々と

──あっ、いま「員子(インコ)ちゃん」っておっしゃいましたね。渋谷さんのお名前は「カズコ」さんですが、「インコ」さんとも読めるので、きっと古くからの仲間はそう呼んでいたりするのでは? と予想していたんです。

渋谷 ふふふ……。私が入社してからしばらくは、当時の同僚の女性たちから「インコさん」と呼ばれてました。ただ、いまでは同期も去って、社内では「シブヤさん」としか呼ばれなくなりました。例外的に「あねさま」「ねえさん」「師匠」なんて呼ばれることもありますが(笑)。ともかく、あの頃は年が近い者同士で、和気藹々とやってましたね。

──社外の天野さん、小林さんともお付き合いが続いているそうですね。

渋谷 そうなんです。天野さん、智美さん、お二人ともいまでも仲よくしてくださって。天野さんはもう30年近いお付き合いですね。

──きっと天野さんも『FF』という仕事では大きな何かを得たでしょうしね。最初は、ああいう絵を描かれる方だから、「俺の絵がゲームで再現できるのかあ?」なんて半信半疑だったのではないかと思うんです。初めてドット絵で上がってきたのを見たとき、どんなことを思われたのかな……と。

渋谷 モンスターは出来るかぎり天野さんの絵を再現することに努めていますが、プレイヤーキャラに関して言えば、天野さんの絵は反映していませんね(笑)。でも、天野さんはそういうことに対して「おもしろい」って思ってくださる方なので。

──『FF IV』が発売されたとき、パッケージが渋谷さんの二頭身キャラになったでしょう? あれを見た天野さんが「ボクの絵じゃないんだ……」ってヘソ曲げたりしなかったのかな、と。

ファイナルファンタジーIV
『ファイナルファンタジーⅢ』までの箱のイラストは天野さんのものだったが、『IV』と『V』の箱イラストは二頭身のキャラクターだった。
Ⓒ1991 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

渋谷 それはないですよ(笑)。あの絵になったのにはきっかけがありまして、私、『FF IV』のときは石井浩一といっしょに『聖剣伝説』(ゲームボーイ版)のチームにいたんですね。それで、そのとき取説用の絵を水彩画で描いていたんですよ。

──当時は「Photoshop」なんてなかったですもんね。

渋谷 それで、描き上げた絵を見た坂口が「こういうのを『FF』にも描いてくれない?」って言うので、『FF IV』のためにも描いたんです。ただ、私が描いたのは原画だけで、あとは外注に出してエアブラシで仕上げてもらいました。

『ファイナルファンタジーVI』の開発資料
『ファイナルファンタジーVI』の開発資料から、ティナ、ロック、セリスのドット絵の一覧表。
『VI』からはマップ上に表示されるキャラクターのサイズが前作『V』までと比べて2倍の大きさになり、ドット絵で表現されるキャラクターの表情や仕草もより豊かになった。
Ⓒ1994 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

『ファイナルファンタジーVI』の開発資料
同じく『ファイナルファンタジーVI』の開発資料の中からラフスケッチのようなものを発見。
ティナ、ロック、セリスの3人のようだが、これは……?
「仕事には関わりのない、ただの暇つぶしの落書きですね」と渋谷さん。でもファンにとっては貴重な一枚なので、許可をいただいて特別に掲載。
Ⓒ1994 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

■過去読んできた漫画はすべて私の中に

──あらためておききしますが、漫画家、イラストレーター、画家、まあなんでもいいんですが、絵を描くうえで影響を受けたアーティストは?

渋谷 それはもう……その時代、時代で、数え切れないほどいます。小学生のときは竹宮恵子さんだったり、美内すずえさんだったり、ベルばらだったり、中学生は松本零士さんから、当時のアニメーターの大御所さんたちの影響を受けつつ、絵を真似しながら……。

──そのへんの人たちって、まだ現役ですもんね。化け物ですよ(笑)。

渋谷 本当に。それで、私は模写が得意だったので、先生たちの絵を真似っこしながら自分の絵と混ぜていくっていう作業を小学校から……。

──自分の絵と混ぜる?

渋谷 真似していくうちに、少しずつ自己流になっていく。小学校のときは少女漫画を真似して、中学校になるとちょっと松本零士風になって安彦良和さんなど男性作家さんの絵を真似したり。高校生になったらまたふんわりした少女漫画に戻ったりして。実は、その頃に描いていたすべての絵が実家の屋根裏部屋に残してあるんですよ。普通の学習ノートですけど、すごい束になってあるんです。

──すごい! 今日、この場に持ってきていただいた仕事のファイルもおそろしく整理されていて感動してるんですけど。

渋谷 物持ちがいいんですね。ともかく、影響を受けたという意味では、過去読んできた漫画、見てきたイラスト、そういうものがすべて私の中に……。

──挙げたらキリがないってことですね。

渋谷 キリがない。いまは誰が好きなんだろう……。いまはプライベートで絵を描かなくなってしまったので。会社でずっと絵を描いていますからね。

──たしかに。

渋谷 これから定年まで勤め上げて、そのあとどうする? ってなったら、ゲームとは関係ない絵を描きたいですね。それこそ、石膏像に戻りたい感じがします(笑)。石膏像をスケッチしたり、風景画を描いたりしたいなって思います。色鉛筆でも油絵でも何でもいいんですけど、アナログに戻りたい。世界堂とか行くと石膏像がいっぱいあって、ウキウキしますよ(笑)。

ドット絵の匠
インタビューシリーズ❷
『FF』のドット絵師 渋谷員子 編

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