ファミ熱!!プロジェクト

ファミ熱!! ゲームの匠

ドット絵の匠・
インタビューシリーズ❷

『FF』のドット絵師 渋谷員子 編

第2回:スクウェアに入社してからの日々

※取材・文:とみさわ昭仁
※撮影:株式会社プロダクションベイジュ 鎌田重昭
※取材協力:株式会社スクウェア・エニックス
渋谷さん写真

■ロール・プレイング・ゲーム? 何それ?

──入社して、最初はどんなお仕事をされましたか?

渋谷 私、すぐにはファミコンの仕事はやっていないんです。いちばん最初は『アルファ』というPC ゲームで、その取扱説明書にイラストを描きました。ちょうど『クルーズチェイサー ブラスティー』や『ウィル デス・トラップ II』が出たあとで、『アルファ』を開発中だったので。

『アルファ』のPC-8801版のタイトル画面
渋谷さんが入社後、開発に初参加したというパソコンゲーム『アルファ』のPC-8801版のタイトル画面。
女の子が瞬きしたり微笑んだりするアニメーションだけでも、当時は衝撃的だった。
Ⓒ1986 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

──取扱説明書のイラストは、どんな感じのものでした?

渋谷 主人公の女の子と、未来の話だったので未来都市……背景ですね。町並みのようなものを描きました。その後、MSX 版の『キングスナイト』で、初めてドットを描きました。

──まず、コンピュータに触れること自体、初めてですよね。

渋谷 そうですね。いきなり「16×16 ドットで描いてみてくれ」って言われても、何のことやら。

──キャラクターというか、絵のパーツですよね。

渋谷 パーツです。マップの断片だったりとか。

──16×16 で描かなきゃならない意味が、最初はわからないでしょう。

渋谷 あと、色数も少ない。MSX は何色で描けばよかったかもう忘れましたが、とりあえず使える色数が少ないので、ちょっとカルチャーショックがありますよね。普通に絵画的な絵ばっかり描いてきたので、いきなりそこで、やりたいと思うことは何ひとつできず、ただそのルールの中で描くのみですし。

──面食らうでしょう。

渋谷 当時は見本にするものもないし、他社さんのゲームを参考にしようにも、他社さんも3色くらいで描いていたから、条件は一緒です。結局、自分で工夫していくしかなかったので、それもよかったのかなと思うんですよ。何にも囚われないで「とりあえずこの中で何か作ろう」っていう、自分の持っているものをどうにか使って……まあ使えないんですけど(笑)。色がないなら形をどうにか落とし込めないかとか、そうやって描いていった気がします。

MSX 版『キングスナイト』の画面
初めて渋谷さんがドット絵を描いた、MSX 版『キングスナイト』の画面。
絵画的な絵とは違う、色数の少ない中での作り方を実感したという。
Ⓒ1986 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

──先輩のグラフィックデザイナーがいらしたとおっしゃいましたけど、先輩だってそんなに経験を積んでいるわけじゃないでしょうし。

渋谷 そうなんです。そういう中で、手探りでやってきたわけです。

とびだせレーシング
渋谷さんの絵によるファミコンソフト『とびだせレーシング』の企画書。
のちに『ハイウェイスター』に正式タイトルが決まり、1987 年8 月に発売された。
そして同年12 月には初代『ファイナルファンタジー』が発売となる。
Ⓒ1987 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

──それからファミコンに参入し、いくつかの作品を経て、『ファイナルファンタジー』(以下『FF』)に着手されます。

渋谷 『FF』の前には、『とびだせ大作戦』や『キングスナイト』があって、ディスクシステムでは『水晶の龍』などもありました。そうしたものをいくつか作って、そのうち『ドラゴンクエスト』が発売されて。でも、そのときにもう青木は『聖剣伝説』の計画を立てていたと思います。

──『FF』より先にですか?

渋谷 そうです。『ドラクエ』が発売されるの前にロール・プレイング・ゲーム風というか、ファンタジー系のものを作ろうっていう企画はあった気がします。

──青木さん、坂口さんもそうでしょうし、あの頃のゲームファンは皆さんPC で『ウルティマ』や『ウィザードリィ』を遊んで衝撃を受けていたでしょうからね。

渋谷 そうです。あの人たちは本当にゲームが好きで(笑)。

──その頃の渋谷さんにとっては「ロール・プレイング・ゲーム? 何それ?」って感じでしょ。

渋谷 私の中では、ゲームはすべてゲームで一緒(笑)。ジャンルも何もないです。それで、私はたまたま坂口に「絵を描いて」って誘われて『FF』チームに入ったんです。

過去のゲームの開発資料
渋谷さんが大切に保管されている、過去のゲームの開発資料。
『ファイナルファンタジー』のファイルの表紙は、もしかして未使用のタイトルロゴ案!?

■ある程度の縛りがあるほうが気持ちよく描ける

──『FF』が発表されたときにまず驚いたのは、ビジュアルイメージが天野喜孝さんだったことでした。モンスターのドット絵も天野さんの原画をベースにしていますが、始めてあれを見たとき、「これをドットにするの!?」って驚きませんでしたか?

渋谷 そこはよく皆さんにきかれるんですけど、とくに驚きはなかったんですよ。「ま、何とかなるだろう」って。

──なんとかなりますか! いや、結果的になんとかなったことは知ってますが(笑)。

初代『ファイナルファンタジー』
天野喜孝さんの描いたモンスターの原画を見事にドット絵化していた。
写真は初代『ファイナルファンタジー』。
Ⓒ1987 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

渋谷 モンスターの絵は、ちょっと大きいじゃないですか。

──主人公らに比べればそうですね。

渋谷 プレイヤーキャラは16×32 なんですけど、モンスターはそれより大きく描けるので、「まあ、やりようはあるだろう」って。色数が少ないから、シルエットで見せるっていう方向に考えていくと、やっぱり形にこだわらざるをえないので、その方向で天野さんらしさを表現できないだろうか、とか。

──ファミコンですから、ひとつのキャラクターに使える色数は16 色くらい?

渋谷 そうです。ただ、私はいまでもドット絵を描くときは16 色を基本にしますよ。色数を増やしたところで自分を苦しめるだけだし、基本は16 色で作るのは30 年前と同じ。ただ、いまは画面表示が液晶で、ファミコン時代のブラウン管と違って色がにじまないから、赤はいいんですけど、やっぱり寒色系が綺麗に見えなくて、そうなると、緑とか青系はどうしてもグラデーションを多めに作ってあげないと、いまの液晶にはちょっと対応しづらかったりするんです。

──メディアが進化しているぶん、作り手の足を引っ張っていたりもする?

渋谷 まあ、ある程度の縛りはあったほうが、気持ちよく描けますね。

──『FF』のグラフィックは、何人くらいで描かれたのでしょう?

渋谷 最初は私だけでした。私がメインで町のイメージを作って。そこから仕事が増えていくにつれてもう一人増やして、二人で手分けして作業していきました。

初代『ファイナルファンタジー』
渋谷さんが町のイメージを作った。
写真は初代『ファイナルファンタジー』。
Ⓒ1987 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

──絵に関しては、企画班から「だいたいこんなイメージ」って指示はあるわけですか?

渋谷 ないです。

──ないんですか!

渋谷 まあ、ファンタジーの世界で『ドラクエ』が先行作品としてあるわけですけど、やっぱりそれとは差別化しなきゃいけません。そこで、町に入ったら家が建っていて、屋根つきのお家がいっぱいあるとか、まずはそういうところから自分で考えて。あとは、主人公がカニ歩きしない、とか。

──わははは。

■会社を辞めたいと思ったことはない

渋谷 最初に作ったのは、オレンジ色の屋根のお家。見た目を「もう少し自分のやりたいようにしたいな」って思って。『ドラクエ』は町とか店の中とかが合理的なんですよ。キャラ数も極力減らして容量を圧迫しないように描かれていて。でも、私が描いた町とか店は、すごく容量を食うんですよ(笑)。そこを押し通して「こうやりたいんだ」って言って。無理を通してもらったりしたんです。

初代『ファイナルファンタジー』の開発資料
初代『ファイナルファンタジー』の開発資料。
建物や部屋やダンジョンの描写も、場所ごとに色や模様に個性があった。
従来のファミコンRPG よりもキャラの使い回しが少ない凝った作りだ。
なお渋谷さんが語る「オレンジ色の屋根のお家」は初代『ファイナルファンタジー』では実現されず、『ファイナルファンタジーIII』になってから採用されている。
Ⓒ1987 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

──それはやはり、普段ゲームをしていない者の強みだったのかもしれないですね。なまじゲームを遊んでいて、作る仕組みも知っていると、「ここは容量節約のために共通パーツにしましょう」なんて言ってしまいますもんね。

渋谷 だからもう、描いたモン勝ちですよ(笑)。それで周りからも「こうしろ」「ああしろ」と言われたことはないです。

──それは社内の皆さんの志も高かったんでしょうね。

渋谷 坂口とか、あと河津(秋敏)もそうでしたけど、とりあえず「こういう方向で行くから何か描いて」って言われて、先にどんどん絵を描いちゃうことが多かったです。企画が上がってくるのを待たずに。

──いろいろ他の方のインタビューを読んでも、スクウェアさんはわりとそういうスタイルだったようですね。そういう仕事の進め方が合わない人もいるでしょうけれど。

渋谷 そうですね。そういう意味では、私はこのやり方が性に合っていたんだと思います。

──アニメーションの仕事がしたくて、たまたまこちらの世界に入ったけれど、ゲームで絵を描くことが嫌になる、なんてことはありませんでしたか?

渋谷 それが一度もないんですよ。いま私はこの仕事に就いて30年になりますが、会社を辞めたいとか、仕事が嫌だとか、そんなこと一度も考えたことがないんです。それは、母から言われたんですけどね。20年目くらいのときに「仕事を辞めたいとか一度も言ったことないね」って。それで初めて、そんなこと考えたこともない自分に気づいて。

──そもそもゲームの仕事を目指していたわけでもないのにね。

渋谷 母としては、『FF』シリーズがヒットして、『FF IV』『FF V』『FF VI』と相当忙しい生活が続いて、深夜遅くに帰って来たり、徹夜で会社に泊まり込んだりとか、土日も会社に行っているとか、そういう状況を見ているわけです。

──親の目から見たらひどいブラックですよね。

渋谷 それでも辞めたいと言わないのはすごいな、って思ったんでしょうね。

──あの頃は、ゲーム業界全体がそうでしたけれども。

渋谷 入社が決まったときも、親は「その会社、大丈夫なの?」って。「会社のパンフレットがあったらもらってきなさい」って言われて、当時の宮本(雅史)社長にお願いしたら「うち、そういうのないんだよね」って(笑)。

──それでも、『FF』が大ヒットしたからご両親も安心なさったでしょう?

渋谷 おかげで会社も大きくなりましたから。「最初はどうなることかと思った」って言われましたよ。

第3回へ続く

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