ファミ熱!!プロジェクト

ファミ熱!! ゲームの匠

ドット絵の匠・
インタビューシリーズ❷

『FF』のドット絵師 渋谷員子 編

第1回:アニメーター志望からゲームの世界へ

※取材・文:とみさわ昭仁
※撮影:株式会社プロダクションベイジュ 鎌田重昭
※取材協力:株式会社スクウェア・エニックス
渋谷さん写真

■最初はスクウェア、「何それ?」だった

──漫画家になりたかった小学生時代、アニメーターを目指した中学生時代、そして石膏像のデッサンに取り組む日々を過ごした高校時代。そこから専門学校へ進学されたということですが、学校名を教えていただけますか?

渋谷 いまはもうその学校はないんですけど、国際アニメーション研究所っていうところです。アニメーターになるために進学したのですが、そこへ2年間通っているうちに、結局アニメーションがイヤになっちゃった。

──あれま。

渋谷 おもしろくなかったんですよ(笑)。動画を描いていても、線と線のあいだを割っているだけで、あまり自分の中で楽しさを感じられなかったんですね。アニメーターは原画マンにならないとおもしろくない。でも原画マンになってやる!という気力もなく。

──それは学校の授業で?

渋谷 基礎を教えてもらった後、アルバイトもしていたんです。生徒に経験を積ませるという意味もあったんでしょう、学校にアルバイト募集が来ていたんですよ。『オバケのQ太郎』とか『エリア88』とか、アメリカで放映されている『トランスフォーマー』とか、いろいろやりましたね。

──それは、ご自分でオンエアを見たりされました? 「ここのカット、私が描いたやつだ!」みたいな。

渋谷 見たと思いますが、あんまり覚えてないかな。アニメーターの仕事に魅力を感じなくなってしまって。

──学校は卒業されました?

渋谷 しました。卒業するにあたって、先生に「私、アニメーターにならなくても良いです」って伝えたら、「ゲーム会社から求人が来ているけど?」って言われて、それがスクウェア(現在は株式会社スクウェア・エニックス)でした。当時はまだ株式会社でもなくて「有限会社 電友社スクウェア」と名乗っていましたが。

──そうか、渋谷さんがスクウェアに入社されたのは1986年ですが、その頃はゲーム開発者を養成する専門学校なんてまだないですから、アニメーションの学校に人材募集をかけていたんですね。

渋谷 これは入社してから聞いたのですが、当時のスクウェアでは「これからファミコンの時代が来るだろう」と踏んで、アニメーションのできる人間を求めていたようです。それまではPCゲームで、画像は止め絵でよかったじゃないですか。

──そうですね。コンピュータの性能的にもアニメーションさせるなんて、ほとんど無理でした。

渋谷 ところが『スーパーマリオブラザーズ』が出てきて、これからのゲームはアニメーションが重要だってなったときに、ゲーム会社とアニメーションの学校が結びついたわけです。そこに私が引っ掛かった、と。「アニメーターじゃなくてゲーム? よくわからないけど、そこ行きます」って言って。

──その頃に「スクウェア」って名前をきいても「何それ?」って感じですよね。

渋谷 はい、全然です。

──不安はなかったですか?

渋谷 なかったです。いま自分で振り返ってもすごいと思うんですけど(笑)。

■ゲームをしなかったからよかった

──いろいろインタビューを読んでみると、渋谷さんはまったくゲームをやらないそうですが、そういう人が「ゲーム会社どう?」って言われて、就職を決断するというのが……。

渋谷 ファミコンのゲームを作っている会社だよって言われて、いちおう家にファミコンはあったんです。弟と妹が『スーパーマリオ』で遊んでいたので、「あれか!」と思って。とくに深く考えもせず、とりあえず「じゃあ、そこ行きます」って言って、日吉(当時)のスクウェアに面接を受けに行ったら翌日にすぐ「入社OK」の連絡をいただいて。「やったー!」と。

──渋谷さんも早いけど、会社も決断が早い!(笑)

渋谷 もう2週間後には出勤していました。

キングスナイト
渋谷さんも開発に参加したという『キングスナイト』。
スクウェア(当時)のファミコン参入第二弾ソフト。
1986 年9月発売。同年11月にはMSX 版も発売された。
Ⓒ1986 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

──ちょっと話を戻しまして、ゲームを遊んでこなかった理由なんですけど。

渋谷  ゲームに興味がまったくない……。

──いやいやいや、ファミコンの黎明期からすごいドット絵をずーっと描かれてきた渋谷員子さんがですよ? しかも家に弟さん妹さんがいて、楽しそうにゲームをやってるわけじゃないですか? それを見て「お姉ちゃんも一緒にやろう」とか……。

渋谷 やりませんでした(笑)。

──そこが、すごく不思議だなと思って。これほどゲームの世界でいい仕事をしてこられた渋谷さんが。

渋谷 私の場合は、ゲームをしなかったからよかったと思ってるんです。スクウェアから「来てね」って言われたときも、私は「絵の仕事ができる!」としか思わなかった。とにかく絵の仕事がしたかったんですよ。

とびだせ大作戦
写真は、1987年3月に発売された『とびだせ大作戦』の開発資料と、
実際の画面写真。渋谷さんのイラストとドット絵が確認できる。
Ⓒ1986 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

──すでに結論めいた話になりますけど、おそらくそこなんでしょうね。ゲームのマニアがデザインするのではなくて、純粋に絵に興味のある人間がグラフィックを手がけてきたからこその、スクウェア作品の魅力ということなのでしょう。

渋谷 子供の頃からずっと絵を描いてきて、将来は絵でなんとかしていこうと思っていたので、そこはブレなかったんですね。

■みんな夢をもって集ってきた

──さて、スクウェアに入社されました。当時、社員は何人ぐらいましたか?

渋谷 私がいたビルには10人くらいでした。坂口博信、田中弘道、青木和彦、植松伸夫(敬称略)はもういました。あとは中田浩美さんっていうグラフィックの先輩もいて、他に総務、営業の人も含めればだいたい10人。あと、別のマンションにプログラマーさんたちがいたので、全部で20人くらいでしょうか。

──グラフィックで女性の方がすでにいらした?

渋谷 ひとりいたんです。とっても美人。

──ぼくのイメージとしては、黎明期のゲーム会社で、むさくるしい男ばっかり集まっている中に渋谷さんが紅一点で入社されて、いろいろ苦労なさったんじゃないかと、予想していたんですが。

渋谷 そうでもなかったですよ(笑)。

──皆さん、かなり若いですよね。まだ20代だった?

渋谷 私がハタチで入って、坂口は私の2コ上……。田中は3コ上。青木もそのくらい。皆さん22~23で、まだ大学生でした。大学に行きながら会社にも来ていて。

──これからファミコンが伸びるんじゃないかっていうところに、みんな夢をもって集ってきたわけですね。

第2回へ続く

ドット絵の匠
インタビューシリーズ❷
『FF』のドット絵師 渋谷員子 編

トップへ戻る