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ファミ熱!! ゲームの匠

ドット絵の匠・
インタビューシリーズ❶

小野“Mr.ドットマン”浩 編

第2回:ドット絵と立体と携帯電話と

※取材・文:とみさわ昭仁 ※撮影:市村岬 ※協力:ナツゲーミュージアム
小野さん写真

■いきなり立体デザインを担当することに

──小野さんがナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)へ入社されて、最初に配属されたのはなんという部署でしょう?

小野 開発部のデザイン課ですね。そこにグラフィック・デザイナーとして入った。その部署では、ちょうど『ギャラクシアン』を作っている最中でした。それでドット絵を描きはじめるんですが、ドット絵だけじゃなくて、製品のロゴデザインとか、インストラクションカードのデザインとか、アップライト筐体のパネルとか、なんでも担当しました。業界誌への広告や展示会に出すカタログなんかもやってましたねえ。

『ギャラクシアン』のチラシ
『ギャラクシアン』のチラシ
ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.

『ギャラガ』のチラシ
『ギャラガ』のチラシ
ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.

──デザインの必要があるものはすべて、ということですね。

小野 学校で覚えてきたことなんてのは、あんまり役に立たなかったですね。会社っていうのはどこの会社でもそれぞれ仕事のやり方があるから、ぼくもナムコに入社してから自分で見て覚えていったんですよ。

──ゲーム業界というもの自体も、まだ手探りでモノ作りをしていた時代ですしね。

小野 最初に会社見学へ行ったとき、デザイン課の上司が案内してくれるんです。そのとき『サブマリン』というゲームが置いてあって。

──潜望鏡を覗いて魚雷を撃つゲームですね。

小野 あの筐体は左右の側板の色が違うんですよ。左側面が白で、右側面が青だったかな。それで案内されたときに、上司が「なんでこれは左右で色が違うかわかるか?」って聞くんです。そんなこと学校を出たばかりの人間にわかるはずないですよ。そうしたら、「ゲームセンターにいろんな筐体が並んでいて、これを右から見たときと左から見たときで色が違っていれば、別のゲーム機が置いてあるような錯覚をする。そうすると少しでも多くプレイしてもらえるだろう」って。ぼくは「そうなのか、プロはすごいな!」と素直に思ったんですよ。でも、入社後に先輩にその話をしたら「どっちの色にしていいか決められなかったから両方塗ってみたんだよね〜」って言われて、すごいショックを受けた。

──先輩、最高(笑)。その頃に手がけたご自身の仕事で、いまでも印象に残っているものはありますか?

小野 あのね、グラフィックデザイナーとして入社したのに、いきなり立体デザインを担当することになったんですよ。ほとんど見かけた人はいないと思うけど、『ゼロイン』っていうエレメカがありまして、その中のあるパーツをデザインしてくださいと。

──デザインといっても、平面と立体では必要なスキルが違いますよね。

小野 そのときのデザイン課のトップが立体もできるインダストリアル(工業)デザイナーだったんです。その下にいるぼくの直接の上司はグラフィック(平面)なんですけど、トップからの命令だからやるしかなくて。それで、どうにか仕上げたものを見せても「パースが狂ってる!」といった理由でやり直しすることになり、ずいぶん苦しんだ覚えがあります。そのかわり、そのゲームの側板に戦闘機のボディのような絵を描かせてもらって、それをずいぶん褒めてもらえたのが嬉しかった。だから、嬉しいことと苦しいことが両方あった仕事として、とても思い出深いですねえ。でも、ゲーセンでほとんど見かけなかった(泣笑)

■ビデオゲームからエレメカへ

──それからずっとデザイン課だったのでしょうか。

小野 いや、わりとすぐにそのデザイン課がなくなってしまいました。というか、ふたつに分かれたんですね。ゲームのグラフィック以外のデザイン作業をするメンバーがデザイン課として社長室の直下に移って、ゲームのグラフィックを担当するメンバーは開発部に残った。ぼくはそのとき開発部に残ったんです。

──じゃあ、そこでドット絵専業になれたわけですね。

小野 しばらくはそんな感じだったんですけど、1989 年に今度はビデオゲームの部署からエレメカ専門の部署へ異動になっちゃった。そこでまた慣れない立体デザインを担当することになって、ずいぶん苦労しました。えーと(過去のお仕事を収めたファイルをめくりながら)これとかね。

『ばーがーしょっぷ』のチラシ
『ばーがーしょっぷ』のチラシ
ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.

──ばーがーしょっぷ……デパートの屋上とかにある児童用の乗り物ですね。これの筐体のデザインをされたんですか?

小野 そう。ぼくは図面なんて引いたことないから、デザインを考えて絵だけ描けば、あとはメカ屋さんが図面に起こしてくれるもんだと思っていたら「君が描くように」とか言われて。

──うわあ。

小野 もはやデザインというより設計の仕事ですよね。あと、出来上がった筐体に貼るステッカーだとか、カラーリングのデザインとか、それはグラフィックデザインだけど、とにかくそういうのも全部自分でやって。それで、このシリーズは三部作だから『ばーがーしょっぷ』と『アイスクリームやさん』と『パンやさん』を作った。他にもメダルゲームの筐体デザインなんかもやりましたね。そういうのもすべて自分で図面を引いて、大変でしたよ〜。

『アイスクリームやさん』『パンやさん』の筐体スケッチ
小野さんの描いた『アイスクリームやさん』『パンやさん』の筐体スケッチ
ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.

制作に関わった筐体と、その手がけた内容
小野さんが制作に関わった筐体と、その手がけた内容。
ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.

■勤続34 年目の長老

──エレメカの仕事はどれくらいされていたんでしょうか。

小野 エレメカで10 年間くらい仕事をして、1990 年だったかな? i モードが登場したタイミングで、携帯電話用コンテンツの部署へ異動になりました。

──あ、でもドット絵には戻ってこれた。

小野 最初は、携帯をやってるチームから手伝いに呼ばれたんです。で、1 ヵ月か2 ヵ月くらいして戻ってきて「ああ、またエレメカか……」と思ってたら、携帯の部署が正式に立ち上がるっていうんで、社内公募があったんです。それで、手伝った以上は自分も申し込まないとマズイかな、と考えて上司に聞いたら「君はもう名前入ってるから」って言われて。

──あはは。

小野 それで、そのまま携帯部門に異動になりました。逆に、そのことがなかったら、その時点でぼくは会社を辞めていたかもしれない。それくらいエレメカの仕事に行き詰まっていたから。

──得意でない仕事をやり続けるのはシンドイですよねえ。

小野 だって10 年もやったのに全然上達しないし(苦笑)。それで、もう限界かなあ、と思っていたところで携帯部門に行くことができて。

──小野さんのドット絵テクニックがまた活かせる場所へ。

小野 そこでは携帯電話用の「メロキャラ」っていうコンテンツを作っていました。ようするに、ナムコ製品のキャラクターを用いた待受画像や着メロですね。そういうものを毎月配信していこうという仕事。

小野さんが参加した携帯電話用サイト
小野さんが参加した携帯電話用サイト。
ロゴのドットも手がけられたという。
ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.

──そんなに昔ではありませんが、そういうの、すでに懐かしい感じがします。

小野 で、そのネタを毎月考えて作っていくわけですが、この頃は『鉄拳』とか『テイルズ オブ シリーズ』なんかもあって、それは若いスタッフの担当。ぼくは昔から会社にいるので『パックマン』とか『ギャラガ』とかの古いゲーム係(笑)。

往年の名作ゲームをモチーフにした携帯電話用の壁紙
往年の名作ゲームをモチーフにした携帯電話用の壁紙。
デザインしたのは小野さんだった!
ⒸBANDAI NAMCO Entertainment Inc.

──もうその頃は小野さんも長老だ。

小野 なんだかんだで携帯の仕事は15 年くらいやりました。ナムコに入社してからトータルで34 年にもなる。それで2013 年に退社して、フリーランスになるんですね。

第3回へ続く

ドット絵の匠
インタビューシリーズ❶
小野“Mr.ドットマン”浩 編

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