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古川柳男色事情走書    南 ツカサ

其の十九:脚気の事

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  「脚気」はビタミンB1不足からくる病気で、全身倦怠感や手足のむくみなどが主な症状として出ます。江戸時代には、「お江戸患い」と呼ばれるほど大流行し、死者も多く出しました。これは、精製された白米が好まれたことが原因のひとつのようです。削られた米ぬかにはビタミンが豊富に詰まっていますからね。
  脚気の治療としては、「芭蕉の葉を煎じる」「芭蕉の葉を敷いて寝る」など芭蕉の葉が用いられたり、「麦飯を食べる」といったことが行われていました。その中で、最も意味不明だった治療法が「若い男子と交接(セックス)する」というものでした。誰が提唱し出したのかもわかっていないのですが、「交接する」ことと「薬喰い(動物の肉を食べることを当時こう呼びました)」を混同させて生まれた俗信のようです。

住持(じゅうじ)の脚気は治り小僧は痔

  「お住持」とは、お寺の住職さんのことです。美食が祟ったのか、脚気になってしまいました。そこで餌食……「薬」とされてしまったのがその住職に使える小僧さんですね。もっともお寺での男色交接は普通に行われていましたので、住職さんの誘いになかなか乗らない小僧さんを、病気にかこつけていただいてしまったのではないか? という邪推も出来ます。小僧さんの「痔」は、誰が治してくれるんでしょうね…。

弟子になりゃ脚気の薬なんどとて

  お寺の弟子になったら「脚気の薬」にされるんでしょう?…という少年の戸惑いです。この句からも、男色交接が脚気の薬とされていたことがよく知られていたことがわかります。そして、「脚気」を盾にお住職から迫られることも。
  単純な好色ゆえに迫られれば拒むことも出来ますが、死病とも言われていた病気を理由にされれば、応じないわけにはいかなかったでしょう。悪賢い住職の顔もちらちら見える句です。

脚気の薬にと玄恵(げんえ)追ひ廻し

  「玄恵」とは、鎌倉時代に後醍醐天皇に仕えた学僧です。江戸時代の寺子屋で使われていた教科書「庭訓往来」の作者とも言われています。そんな偉い学者でも「脚気の薬」として追い掛け回されるんですから、油断も隙もありません。

  脚気の原因が判明し、特効薬が発明されたのは明治時代に入ってからですが、その薬は浸透せず、脚気が沈静化するのは昭和に入るまで待たなければならなかった模様です。それまでに、何人の少年たちが「脚気の薬」とされたのでしょうかね……溜息です。

コラム「古川柳男色事情走書」著者プロフィール
南 ツカサ(みなみ・つかさ)  Twitter

古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。